正見
「正見」とは仏教における八正道の中のひとつで「自分中心の見方や偏った見方をせず、物事を正しく見ること」とされている。「ありのままを見る」というこの「正見」が、これから組織や仲間たちと共に生きていく中でとても大切な役割になるのであろうと感じている。
先日、遠方から数名のお客様がご来社された。
障がいをもっている方々の働き方を見に来られたそのお客様に当事者発表という場を設けた。
発表をお願いした社員さんは、物心ついた時から社会生活におけるハンディを身体的に持っている。
彼の人生をはかり知ることはできないが、社会という渦の中で困難なことも多かったのであろうと想像している。
発表の中で彼からとても印象的な言葉を聴いた。
「僕は、他人(ヒト)が自分をどのような “目” で見ているかを見分ける “眼” を持っていることには自信があります。今の所属課ではその “目” を感じませんでした。だからここに来たのです。」
その“眼”にかなった社員さん達を誇りに思うと同時に、ゆっくりと組織は人を育んでいるのだと感じた。また、そのような“眼”をもって評価をしてくれたその社員さんには感謝の念が溢れた。
目が見えるのであれば、人はものを見ることが出来る。しかし、ものごとをありのまま正しく見るということはとても難しい。何故なら私たちの目前は自己の主観や常識、立場やしがらみなどが霞みのように立ち込めて目をふさいでいる気がするからである。
彼のかけがえのない人生経験から得たその“眼”は、他のどの目よりも真っ直ぐに人の心を見透かすのであろう。そして、その”眼” は彼固有のもので彼以外は持ち得ないのである。
彼らと共に「働く」という価値の新たなる発見と気づきであった。