弱さはきっと強さ

2019年02月18日

社内若手を中心としたメンバー9名で行きつけの名店居酒屋にて宴を楽しんだ。

お客様も交え楽しく過ごし、さぁて会計でもするかなとカバンを覗きこんだ。

 

ん? ない!?

ない ない ない!

 

いつも持っている鍵ケースがないのである。

再びカバンの中に手を突っ込みゴソゴソまさぐったり、ギロギロ覗き込んだり。

しかしやはり見当たらないのである。

 

1年半の間に8名の社員さんが入れ替わったと彼らから聞き、新入社員も交えての交流会。

和気あいあいとした雰囲気の中で笑い声が飛び交い、自分が年長者であることを自認させられるほど活気がみちみちていると感慨に浸っていたその熱量は一気にサッと引いてしまった。

 

そしてこの鍵ケースの件に再び。

酔っぱらった頭で記憶をたどたどしく辿ってみる。。

 

“あぁ!会社の玄関にさしたままやぁ。” と思わず声に出していた。

“しかも、施錠していない!”とも。

 

私を家まで送ってくれる社員さんに

“ちょっと会社へ寄ってくれるかなぁ。鍵さしたままやわぁ。”

と言ったところ、社員さんは、

“しゃちょ~、何かズルくなくていいですね”

 

????とした顔をしていると

“ズルくないって思いました”と繰り返した。

 

推測するに。社長という生き物は、会社を施錠せずに帰ることもないのだろうが、忘れた場合にはこっそり何事もなく終わらせる。というように思っていたようだ。

 

NPO法人スウイング 木ノ戸昌幸著『まともがゆれる』の中で

“弱さ。それはほとんど強さと同義である。”

という一文に目が留まっていたところ、この社員さんとのやり取りがフラッシュバックしてきた。

 

新入社員さんにも弱みを話してしまい心配される始末のこの社長という私を“ズルくなくていい”と評してくれたことに安心感を覚えた。そして、このままでいいと確信した。

 

人は自分の弱さに目を向け、気づき、それを共有できる人たちに吐露できる環境があるならば、それを補完し合い、集団としてそれは“強さ”となってゆくのだろう。

 

一歩外へ出れば、それを許さない環境は溢れている。

たった25人のこの集団の中でそれが叶うことであれば最強は生まれる。

 

いわゆる”できる”が少ない長男。

大好きなカレーは自分で仕上げる。

最強・サイコ―である。