諸々の事柄は常ならざるもの

2019年12月24日

諸行無常(諸々の事柄は常ならざるもの)

 

2年ぶりの中国出張。会社設立から14年という時間が流れた。

今回の出張は、今後の中国事業のあり方を問うための出張であった。

 

中国工場は立ち上げるところから関わっている。

若い私は事業を起こしていくことに苦しみ悩みながらもワクワクしていたと思う。

起こしていくスピード感、自己の達成感などを味わいながら成果という目的に向かっていた。

 

2年ぶりの空港ロビーに座り、以前とは全く違う心待ちであることに気づいた。

以前は空港での待機時間は到着後解決すべき課題のことなどの再確認作業を行っていた。

しかし今回はただぼんやりと座り、今まで辿ってきた過程を反芻していた。

 

2年という期間会わなくても、どこで聞きつけたか金型屋の中国人社長さんたちが晩飯を食べようとメッセージをくれる。創業当初からいてくれる社員さんたちがいる。たった1人で責務を負い続ける日本人駐在者がいる。つながってきた人たちがいる。

 

そして現地ではKOZYという名の金型屋の社長と久々に会った。彼は15年くらい前に早川工業の金型課へ入社した社員であり、祖母が日本人であるため中国国籍ではあるが中学の頃に日本にやって来た。日本での目に見えぬ偏見や差別などの苦労を体験しながら、マイノリティーとしての逆境を跳ね返す力を蓄えたと聞いている。私は自分が社長になると同時に駐在員として彼を中国に出向させたが、日本からのコントロール下では彼の実力が出ないと判断し、叱咤激励と共に中国ローカルの金型屋として現地起業を推した。KOZYという会社名は私が付けたもので、その中の”O”の文字は大野の”O”である。彼が起業して7年。紆余曲折はあったと思うが、そのもがき苦しむ姿は社長としての風格を備えていた。とても感慨深く、月日の尊さを感じた。

 

事業とは何なのであろう?売上、利益、色々な率…。目指す成果ではあるものの、目的ではないと今更ながら思い至る。そして事業という形そのものは常ではあり続けない。

 

歳を重ねた私は「常ならぬもの」だけにすがらず、連綿と受け継がれていく「つながり」を感じながら、未来への「つながり」の探究し始めている。