アンコンシャスバイアス

2019年01月26日

今週、義母が逝き見送りをさせてもらった。

 

その夜、私は長男(知的障がい)を伴い通夜式に参列していた。

親族席後方端の席に座り、自分の右側は空席であった。

長男が参列できるかどうかはその時の彼の様子を伺いながら。としていた。

私は彼が無事通夜式に参列できたことに胸を撫でおろしつつ読経を聴いていた。

 

その時である。長男が突然言葉を発した。

「おばあちゃん来るよ」と後方出口左端付近を指さした。

「ここに座るよ」と私の隣の空席を指さした。

読経の静けさの中に発せられたその言葉に少し驚きながら私は言った。

「おばあちゃんは、前の棺桶の中にいるよ」と。

ほどなくして、また長男が言葉を発した。

「おばあちゃん来るよ。ここに座るよ」と指をさしながら。

私は同じセリフを彼に返した。

 

このやり取りを数回繰り返したその時。ふと感じたことがあった。

本当に義母は棺桶の中に“居る”のかと。

確かに肉体は棺桶の中にあるのだが。

ここに参列している誰にも真実は分からないのではないかと。

 

次の彼の言葉にふと寄り添ってみる。

「おばあちゃん来るよ」「あそこからやって来るの?」

「ここに座るよ」「もう座っているの?」

義母が私の隣の席に座っている姿を思い浮かべ、胸が熱くなった。

 

彼は分からないから。と自身の観点だけで彼の言葉を聴いていた。

無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)に取りつかれていることも知らずに。

 

彼らに特殊な能力があるとかを言うつもりは毛頭ない。

しかし、何を見て感じているかはその人の言葉をどう聴くかで変わってくる。

障がいのあるなしに関わらず。である。

そして、真理真実は自分の観念だけでは計り知れない可能性と広がりがあるのだと。

 

彼の言葉に寄り添った瞬間、温かいものに包まれた事実。

 

不思議なものである。